大阪の尺八吹きです。尺八にとどまらず自作のオーディオや想いを!骨髄異型性症候群と多系統萎縮症という難病をわずらて闘病生活に入っています。


by takudoo1021
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

尺八の音その2

私の考える尺八の音(ね)です。ご意見をお聞かせ下さい。

 尺八は鳴らすものではない、己の発する振動を、歌口が、大気の振動に転換し、
竹に空けられた五つの穴が周波数をシフトし音程を生む。
 その生みの親ははかならぬ自分の手でありそれを司る我が脳幹である。
多くの場合は要素としての楽譜があるが、楽譜は音ではない。単なる記号でしかない。
だとするなら楽譜でなくてもいい。
時には、ダンサーの磨き抜かれた身体と動きであり、凝縮された一枚の絵でも十分すぎる素材である。
意図的な、または恣意的な段取りを捨象したところでこそ、真の音が生まれる。
それは、まさに独りよがり自己的である音の出立ち(これは表面的な言い方であるのだけど)故に、
共鳴を求めるものであり、また同時的に孤立をおそれぬものである。
なぜなら、
音として空間に放たれる時に、素材は何であれ、音たちはすでに世界を獲得しているからである。
出なければ聴衆はそのテクニックに感心する事はあっても感動、「共動」する事はないし、
社会・世界にきり込むことのない、上っ面なものに完結してしまう。
故に、真の「やすらぎ」天然・自然との一体感を感得出来なかった聴衆は
またも「音楽」を求め続けるのである。
それ故にこそ、
尺八の演奏は自己の根源的な存在と社会・自然のありようを表象する可能性が高いが故に
「奥が深い」のであり「難しい」といえる。
少なくとも尺八奏者である限り、竹とのいい関係を最低持つべきであろう。
「尺八は、鳴らすものではない。自ずと音を発するものである。」
その意識を持つことにより、少なくとも音につきまとう
「鳴らしてやる」「聞かせる」「いい音にしたる」という心の透き間を埋めておく事が出来そうです。

尺八の音=自分の音であり、あなたの音であり、宇宙の音といえること。
それこそ自立した音楽といえる。
また、本曲の神髄と思う。心音一如  有難うございました。
[PR]
by takudoo1021 | 2009-07-11 19:37 | 尺八