大阪の尺八吹きです。尺八にとどまらず自作のオーディオや想いを!骨髄異型性症候群と多系統萎縮症という難病をわずらて闘病生活に入っています。


by takudoo1021
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一休禅師の本

最近一休禅師(一休宗純)の「狂雲集」を読み終えた。理系(?)の僕ははっきり言って漢文が全く解らんし、読んでも理解できたとは思えないんだけど。関連して読んだ本をとおしてまた、尺八がらみで深めたい。
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 子供の頃はマンガや絵本でそれこそ一休さんしか知らなかった。尺八を酒井竹保師に手ほどきを受け「紫野鈴慕」という曲が一休禅師の作った曲と知っても、その曲自体にもあまり興味がわかず、「阿字観」「松巖軒鈴慕」や海童道の曲に惹かれていた。演奏も正に音楽をやるという感じだった。
 でたまたま真言宗であったということで空海を読むことからの仏教との出逢いから虚無僧が「普化宗」ていうけどどんなもんかといろいろ読み出し、武田鏡村の「虚無僧ー聖と俗の異行者たち」で一休禅師の果たした役割を知った。
 
 そもそも「普化宗」は宗祖としては「普化禅師」とされるがその実態は歴史的に無いと言える。
 千二百有余年前の昔、唐の普化禅師は中国・唐代に出た傑僧で臨済宗の宗祖である臨済禅師の同僚であった、常に鎮州城街に鐸(鈴の類)を振り「明頭来也明頭打、明頭来也明頭打、四方八面来也旋風打、虚空来也連架打」と言う「四打の偈」を唱え行化していたので有名であった。それと法灯国師とこじつけ虚竹禅師(明暗寺開山者・実態は不詳)開山者と仰ぎ、虚霊山明暗寺と号し、ここに尺八禅が宗派として具体化し、普化宗と言う一派を形成した。とあるがその成り立ち話は殆どすべてご都合主義の作文である。

 で一休禅師の生きていた室町時代は今の尺八はなく「一節切」という短い笛が吹かれ行雲流水の生活をしていた、そして一休禅師も吹いていた。

 尺八
一枝の尺八 恨みたえ難し
吹いて胡茄(葦笛)塞上の吟に入る
十字街頭 誰が氏の曲ぞ
少門下に知音を絶す

この詩は尺八の題をかりて、本物の禅者がいない事を嘆いたものだが、一休は嘆くだけでなく、尺八と真の禅者をつなげる作業にも取りかかった。

それが普化禅師の「風狂」ぶりとの接点にとなり、虚無僧の思想的な原点に繋がっていったのである。

そんなこんなを読みながら、僕の尺八も一休さんの「紫野鈴慕」(紫鈴法)に真剣に取り組ませて頂き、短管のペラペラだけ(ほぼ「一節切」)でなんとか演奏の機会も得てきました。
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by takudoo1021 | 2009-09-29 21:09 | 読み本