秋風の中で②
2010年 09月 30日
パソコンに向かい夕食抜きで与謝野晶子の歌曲「君死にたもうことなかれ」の打ち込みをして9時すぎて、電話が入った。 母の死去の。
「2時間ぐらい見守っていたが、少し苦しそうではあった。気になりながらも、その足で、兄の病院へ行く。」
と書いたが「そうかやはり・・・・・・・。」 取りもとりあえず豊泉家へ。夜8時51分永眠した母と出会い、姉たちと落ち合い話しを聞く。ただいつものように眠ってるだけのようだ。が苦しそうに肩で息はしてなかった。
「ご苦労さん、やすらかに 南無大師偏照金剛」
10時すぎていたが葬儀屋さんの車で、兄の家に落ち着く。
すぐさま葬儀屋さんとの打合せが深夜まで続く。そして母の側で、姉たちと雑魚寝。
あけてK子姉さんは、兄の転院に向かい、病身の兄に告げ、又外出許可がおりるのか等で、出かける。
コチラは親戚に連絡の電話をする。家族葬としてしめやかに。
一度帰宅しシャワー浴びて、日程などの調整の電話をし、仮通夜に戻る。兄が外出許可が認められたということで車椅子タクシーで51日ぶりの帰宅、と母との再会を果たす。
西江寺さんがお見えになり枕経が始まる。兄は涙を出して泣いた。思えば母の事はすべて兄に任せっきりだった。
時々のケアープランの変更、面会、行事参加数え切れない程、兄は母と過ごした。
そして兄は母の体調悪化と時期を同じくして脳梗塞で倒れ手術と入院生活。からだ左半身の麻痺。
重い想いが積み重なっていたんだろうと。
母も兄が治療入院からリハビリの為の病院への転院まで我が身を引きづり死期をのばしたかの様である。
今日はお通夜、明日は告別式となる。
「ご苦労さん、やすらかに 南無大師偏照金剛 享年95才」