大阪の尺八吹きです。尺八にとどまらず自作のオーディオや想いを!骨髄異型性症候群と多系統萎縮症という難病をわずらて闘病生活に入っています。


by takudoo1021
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カテゴリ:尺八( 39 )

弁天町の世界館へ

 昨日は23日(祝・木)にひらかれる「MAYA BELLY EARTH COMPANY2010公演 『月想の宴』~今宵あなたと照らされよう~」のリハーサルに弁天町へ行った。b0189977_10121652.jpg
  世界館。海辺の大きな倉庫を改造した劇場だった。まだ
 あまり活用されてはいない様だが、なかなか雰囲気のあ
 るホールだ。
  夕刻6時に到着し、自分の出番の確認。1部(初級の方
 中心)終了の後2部の頭に今回のテーマ「月想の宴」をイ
 メージした曲をと。そこで明暗真法流の観月曲を吹く事
 に。これは高野山法師の作の曲と伝えられている曲で
 す。MAYAさんの伴侶だった故天宮志龍も高野山で僧籍取ったという事で、追悼になるかもと。
ただ、多分この曲を吹くというか伝承している尺八の方がすくないんで、ホント貴重な曲なんです。

 私の吹く「観月曲」が流れる中、ベリーダンサーのMAYAさんが踊られる。誰もが想像できない空間を生み出し得るのではないでしょうか。
 10分たってダンスミュージックが流れるとさらにダンサーが登場。この曲にも、尺八が即興的に絡んでいく。

 周りは若い女の人たちばかり。てきぱきと、場当たり、リハをすすめていかれる。本番が楽しみだ!

 行く途中マイミクの完ちゃんと大阪駅であったよ。 
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by takudoo1021 | 2010-09-02 10:44 | 尺八

花が咲いて

花が咲いた 蝉は出尽くしたよう 処暑の日 庭に一輪の花が咲いた。b0189977_1718417.jpg
 異常が定着してきた昨今の気象。
 ふと庭に花を見つけると
 心和む。

 朝から2尺5寸管の尺八の管内をいらい
 筒音の調整に励む。

 そして、そうだこれを聞かなきゃと、取り出したレコードb0189977_17441560.jpg

全景が入ってないけど。1983年に自主制作したアルバム
風の会「古典本曲集」当時の酒井竹保の直門の4人で創ったアルバム。
 A面 1.普大寺伝 虚空  西口寿保
     2.明暗真法流 行虚霊 吉武祥保
    3.道曲 風林 西口寿保
 B面 1.甲州乙黒大法山伝 バン字 福本卓道
    2.錦風流根笹派 通り、門付、鉢返し 上村京保

録音は大阪音楽大学で、みんな頑張りほぼ一発取り。
みんな30代後半のいい感じの時の録音である。
何年ぶりかで久にきいたが、やっぱ凄い尺八の音が
迫ってくる。
当時のNHKのチーフディレクターの垣田昭さんが「私はこの音楽を聞いて、かの紀貫之が古今和歌集の序で述べた言葉を想起した。総ての芸術は 『天地(あめつち)をも動かし、目にみえぬ鬼神をもあはすとおもはす・・・』ものであるべきだと―。」かいて下さっている。

思えばもうその頃からも27年がたっている。自分なりに尺八と向かい合った生活を過ごしてきたが、やはりこれで良かったんだと思いつ、少しサボり気味かの反省もあり、やっぱがんばらにゃと気を引き締める。

このレコードは僕の手元にまだ残っています。ご希望の方は連絡下さい贈らせて頂きます。送料込みで2500円です。アナログのダイナミックレンジのチェックや音色のチェックにもいいアルバムだと思います。

昼からは蛍池小学校へ行き、「笛のワークショップ」の4回目を。来週は内輪の発表会で成果を発表できるようにとハッパをかけた。
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by takudoo1021 | 2010-08-23 18:24 | 尺八

新しい吹き管

 私の吹く尺八は、製管師初代河野玉水さんの1尺8寸管、1尺6寸管、2尺1寸管が主なモンで始まり、古典本曲(普化尺八)を吹く時は、地無しの延べ管を使う。その竹の多くは弟子のY口さんが製管したモノを、最終的に手を加えたりして使用している。
既に、2尺管(筒音C)や2尺3寸管(筒音A)は気に入りよく使っている。
b0189977_17183578.jpg
そこに新たに1本の竹が生まれた。一番手前の竹で、2尺5寸(筒音G♯)である。
 奥の竹は河野玉水作の1尺8寸管と2尺3寸管である。比較のために並べました。
まぁ太いどっしりとした竹で、卓道の吹きりょうのなかでは、一番太く、最初見せられた時から、これを何とかしてくれ!とある程度の仕上がりを楽しみにしていた。最初はイ(ヒ)の甲音、ルの甲音、とそれぞれのピッチの正確さが問題で、Y口さんが必死に問題解決に挑まれていた。といっても地無しの竹なんで、地を盛りつけということも出来ず、管内の抜いた節の残りを削ったりしてとりあえずということで、卓道の手に。
b0189977_17401770.jpg今日、1日かかって、
卓道が仕上げにかかる。
ヤスリとペーパーで
管尻の根株の処を美しく。
口当たりぐわいの調整。
それと微妙なピッチのチューニング
なんとかいけたようです。
あと管内を黒カシューで塗れば完成。
この竹はご覧頂ければ7節です。
尺八は7節でという事なんですが、長管になるとそうも行かず、真ん中の2尺4寸管は8節もあります。べつに何の問題もないし、根株も必ずいるモンでもない。そこがY口さんのこだわりということで、これはその節間の竹を見いだすのに大変な事なんです。
 という事で、また明日からしっかりと息をいれ、吹き込んで行きたいと思います。吹き込んで、その竹の性分を解ってやらないと、いい音が出てくれませんから。
 そのうちこの竹をライブデビユーさせてやろうと思っています。
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by takudoo1021 | 2010-06-16 17:55 | 尺八

雨の明暗寺で

 梅雨になったんですね。ほんと1日しとしとと雨の中。
京都の東福寺にある虚霊山・明暗寺に12時前について、集まった明暗尺八道友会の仲間と、他流の方も含め20人で古典本曲独奏会が持たれた。
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明暗開祖の虚竹禅師の像が見守る中献笛が始まる。全19曲、卓道は5曲目だった。
しっとりとした雨に、音色は幾分か丸みを帯びて、やはりしっとりと。日が照らないので少し風が沁みて、途中で戸を閉めたり。
錦風流根笹派の「流鈴慕」曲数が昨年より少なかったので、通して吹ける事に。多分17分ぐらいの演奏になった。最初は蒸し暑かったが演奏時は気持ちよく、汗もかくことなく、落ち着いて吹奏出来ました。
 後は、懇親会。他流の人も含め尺八論議や、竹の吹き合わせ、時間もあっという間にたってしまう。
「気を通す」という方にちょっことやってもらえたり、まぁ元気になってしまう。
 平均年齢60才半ばのおっさんどもの集まりでした。
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by takudoo1021 | 2010-06-13 20:51 | 尺八

「流鈴慕」

 6月13日(日)京都の東福寺にある虚霊山 明暗寺での我が明暗尺八道友会主催の第12回古典本曲独奏会に出す曲は根笹派錦風流「流鈴慕」と決めた。
 たまたま弟子のY口さんのレッスンで教えているんで最近よく吹いているからという理由で選曲した。明暗寺で吹く場合は、虚竹禅師像の前で献笛するんで選曲にもいつも考える所があるんだけど、この曲も教えながら吹いているといろいろ気づく事がありやっぱこの曲やという感じになってきた。

 根笹派は上州高崎の虚無僧寺「慈上寺」を中心とする普化宗の一派である。弘前藩九代藩主の寧親公(1761~1835)は自分も吹く尺八を 小納戸役の吉崎八弥好道(1798~1835)に公費を支給し、下総国は葛飾郡の一月寺において尺八を学ばせた。吉崎は文政元年(1818)七月に帰藩し、習得した技を伝えそして根笹派錦風流と定着した。津軽には虚無僧寺の記録はなく、江戸末期の津軽の武士達によって伝承された。

 錦風流の曲は前10曲で、「コミ吹き」、「ツギリ(チギリ)」に特徴がある。
「コミ吹き」とは息を断続的に刻みながら吹き込む、他に類を見ない奏法。津軽三味線と同様のリズム感を彷
彿とさせる吹奏法である。「ツギリ」とは尺八の音名のツからロに移る際に、顎による奏法などを用いて独特の間合いと音味を生み出す音型パターンである。

 そんな中でこの流鈴慕は鈴慕という事で「普化禅師」の鐸音を慕うという意味で3ユリ1打ちや4のユリがこの曲想を決めるポイントになっていると思う。けっして段取りで、楽譜に書いてあるからユって打つでは生きてこない。そしてカリ音とメリ音の組み合わせの妙もこの曲のポイントになってる。メラズに手穴で半音落としたりカザシなしでメリだけで音を落としたり、様々なる妙が含まれている。

 そんな事などが、弟子が吹いているのを聞いている時に、また一緒に吹いているときに自分が気づかない微妙な指使いを無意識にやっている事を発見し、この曲の持っている意味というか曲想を改めて感じる事になる。

 そんなこんなの「結果」はこの日曜日の明暗寺で感じてもらえれば、そして自身としては普化禅師との新たな出会いがあればと思っている。

 弟子のY口さんに作って頂いた地無し尺八がその想いを奏でてくれると信じて。

 6月13日(日)12:00~入場無料
    第14回古典本曲独奏会 処:虚霊山 明暗寺(京都 京阪東福寺下車)
    明暗尺八道友会主催   他流の方も含め20曲ほど演奏される。

    明暗寺の説明は→ココをクリック
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by takudoo1021 | 2010-06-07 18:11 | 尺八

隠れたる製管師

 僕は明暗古典本曲・虚無僧尺八を吹く時は、地無し尺八を使っている。自分で製管される方も多いんですが、なかなか不器用なわたしは出来ない。そんな卓道にとって良かったのはわたしの尺八の弟子であるY氏が、尺八作りをしているのである。そのY氏から頂いた竹を吹いている。
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 写真の一番上のは初代河野玉水の1尺8寸管(標準管)を比較のために置いた。
 2番目が2尺管(筒音C)、3番目が2尺2寸(筒音A♯)、4番目が2尺3寸(筒音A)、5番目が2尺5寸(筒音G♯)だ。いずれも地なしで、節を抜いて手穴を開けただけのもの。
 凄いのがすべて竹の7節でを使って作られている所だ。長管になると手穴と節間がどうしてもあわないので7節は少ない。筒音を規定のピッチにしようとすると7節では困難である。(ピタットいく竹に出会うことが少ない)
 ただ、本曲は一人で吹くので、少し中途半端でも問題はない。
 むろん他の楽器との合奏の時は、地をした河野玉水製管のを使う。
 本曲の時は隠れたる製管師Y師のを。ただ実は、最終的なチューニングは自分で行っている。
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by takudoo1021 | 2009-10-25 20:32 | 尺八

明暗寺で古典本曲

 昨日は京都の明暗寺の第28回虚無僧追善供養尺八献奏会に参加してきました。天気が良すぎてめちゃ暑かったです。朝8時に出て、10時頃着いて、演奏終了が5時20分。延々53曲の尺八古典本曲が奏でられる。
 この会は久しぶりだったんでいろんな方とも出会えました。僕は14番目に明暗真法流「真虚鈴」を長管で虚竹禅師に献奏しました。マイミクのRYOSAI@妄想竹さんとも再会できました。

 兵庫の竹田さんは前に短管で吹いた僕の「紫鈴法」を聞かれて、今回自分も短管で挑戦しましたとおしゃって下さいました。

 途中、息抜きに東福寺内にある芬陀院(雪舟寺)にいった。b0189977_1854177.jpg
残暑がきつく広い東福寺の庭を彷徨ってると、
汗がしたたり落ちる。
で、雪舟寺へ駆け込み、その庭を見ながら休憩。
此処で我が師匠の酒井竹保と作曲家諸井誠が
尺八現代本曲の「竹籟五章」の芬陀の章を作ら
れたんで、師匠の音が響いて来るようでした。

昼飯にうどんを食って2時過ぎに戻る。まだまだ
続く本曲の調べ。
RYOSAI@妄想竹さんは蕎麦懐石を食べたと。喫煙所でタバコ吹かして雑談。

終わって場を移して懇親会。90名近い参加
いろんな方との再会。虚無僧研究会の小菅大徹会長、お世話になった石井汲芳・増谷省陀さん。
昔の竹保流の仲間、徳島の浜井弘保、愛知の磯村琴保さん。関西の志村禅保、谷林さん、神崎さん、貴志さん池原さん等々。それに20年前に豊中で「鹿の遠音」でご一緒した、クリストファー遙盟さんとの再会。
いろいろあって、残暑厳しき一日を終えました。
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by takudoo1021 | 2009-09-28 18:30 | 尺八

土日月

 涼しくなりましたね。
土日は明暗尺八道友会の合宿に参加。高槻市の森林観光センターで。尺八仲間が12人で古典本曲の「門開の曲」「鹿の遠音」、初代酒井竹保作曲の「虫供養」、文屋和男作曲の尺八三部合奏曲「涅槃寂静」の練習漬け。なかなかこんなにみっちり吹くこともない中で、山の緑に囲まれた処で、みんなと気持ちよく吹けた。

 とやっぱ山間部ということで、涼しかった。空の雲もすっかり秋の様子。気持ちよかった。

 で、家に帰って今日。朝から登校日。仕事場へと走る自転車も気持ちよかった。帰り際校門を出る時。

 なんと「ツクツクボウシ」の泣き声が耳に!朝は「クマ」か「アブラ」やったのに!秋だ!

 昼からは前に書いた「横笛」のワークショップ。みんなも頑張ってくれて。驚かされた。
 明日が最終で、簡単な発表会だ。それも楽しみです。
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by takudoo1021 | 2009-08-24 21:33 | 尺八

尺八の音その2

私の考える尺八の音(ね)です。ご意見をお聞かせ下さい。

 尺八は鳴らすものではない、己の発する振動を、歌口が、大気の振動に転換し、
竹に空けられた五つの穴が周波数をシフトし音程を生む。
 その生みの親ははかならぬ自分の手でありそれを司る我が脳幹である。
多くの場合は要素としての楽譜があるが、楽譜は音ではない。単なる記号でしかない。
だとするなら楽譜でなくてもいい。
時には、ダンサーの磨き抜かれた身体と動きであり、凝縮された一枚の絵でも十分すぎる素材である。
意図的な、または恣意的な段取りを捨象したところでこそ、真の音が生まれる。
それは、まさに独りよがり自己的である音の出立ち(これは表面的な言い方であるのだけど)故に、
共鳴を求めるものであり、また同時的に孤立をおそれぬものである。
なぜなら、
音として空間に放たれる時に、素材は何であれ、音たちはすでに世界を獲得しているからである。
出なければ聴衆はそのテクニックに感心する事はあっても感動、「共動」する事はないし、
社会・世界にきり込むことのない、上っ面なものに完結してしまう。
故に、真の「やすらぎ」天然・自然との一体感を感得出来なかった聴衆は
またも「音楽」を求め続けるのである。
それ故にこそ、
尺八の演奏は自己の根源的な存在と社会・自然のありようを表象する可能性が高いが故に
「奥が深い」のであり「難しい」といえる。
少なくとも尺八奏者である限り、竹とのいい関係を最低持つべきであろう。
「尺八は、鳴らすものではない。自ずと音を発するものである。」
その意識を持つことにより、少なくとも音につきまとう
「鳴らしてやる」「聞かせる」「いい音にしたる」という心の透き間を埋めておく事が出来そうです。

尺八の音=自分の音であり、あなたの音であり、宇宙の音といえること。
それこそ自立した音楽といえる。
また、本曲の神髄と思う。心音一如  有難うございました。
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by takudoo1021 | 2009-07-11 19:37 | 尺八

尺八の音その1

長い書き込みなんで。BGMにどうぞ

 ひとひの  MIDIふぁいるです。

                心音一如

私のイメージですが。私は、古典本曲と即興を基底に演奏してます。
尺八は、素朴な楽器故に奏者の呼吸にもっとも敏感な楽器です。
だから、「尺八の音」=「私の音」とよくいわれるが、それを、もっとよく考える必要があります。

 尺八の演奏に当たっては、その人の呼吸が、一義的に介在しています。
初心の人の初舞台なんかで、あがってしまったときの息の乱れ。 浅い呼吸の人の苦しげな音。
それは、まさかその人の全人格を表象してるのではないでしょう。

が、確かにその時の体調や、性格 そして音楽に対する対しかたを反映していると思います。
つまり、その人の状況というのは第一義的に呼吸に現れるといえます。
従って「その人の音」というのは尺八ではかなりはっきりとしていると思うのです。

 私は次に介在するものとしてその人を構成するもの(物質的なもの、機能的なもの、精神的なもの)
の トータルな振動(バイブレーション)が想定できると思います。

 私には見ることは出来ませんが、オーラといってもいいかも知れませんが。
 それは、身体的な状況や体調はもとより、その人のライフスタイル・生き様・世界観もっと言えば
自然や宇宙との関わりかた。
そして、むろん環境的要素からの相互浸透(山の森の中、難しい曲で立つ舞台などいろいろ)、
それぞれの要素の発するバイブレーションのハーモニーが呼吸という一ひとつの気の流れを創り、
たまたま歌口と技量があれば尺八の音となる。

其の意味を、私は「心音一如」と説明しています。  
すばらしい奏者は、 きっと聞く人のや場のそして宇宙の波動をも感じ共振し共鳴させる
ことの出来るの だと思うし、そのための研鑽と思ってます。
直感的になかなか難しいので手助けとして、「般若心経」など読んだりもしてます。
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by takudoo1021 | 2009-07-10 19:41 | 尺八