母が手術で
2010年 07月 09日
連絡を確認したのが、17時ぐらいで、とりあえず病院に向かう。電車だと庄内駅からかなりある。という事で自転車でとばす事にした。阪神高速空港線の下を下ればいい。あわてて周辺地図を忘れている事に途中で気づいた。まぁ進むしかない。南豊中のインターチェンジの処はどうすりゃ南下出来るンか、かなり遠道に回される。で道のどっちいやったかな。一度数少ない通り道の人に尋ねる。やっと病院が見えた。出てから30分もかかってしまった。入り口は?とちょうど玄関口に兄嫁のK子さんと姉がいた。ちょうど偶然的に。様子を聴きとりあえず出血ぶんは取り去ったと。しかしまだ残りもあるんで、病院からはもう一度手術をすることをすすめられていると。「2回にいって、インタフォンで」と聞き2Fの集中治療室へ。扉の注意書きを見ると1日2人しか面会出来ない。既に面会時間は終わってる。とりあえずインタフォンで「今日入院して手術をうけた福本です」という事で、入室。マスク着用、手の消毒。今回は簡単な手術のようで、本人は眠っていた?その辺がかなり解らなくなっているのが今の母であるが。「射たかったやろな」とか声をかけると眉が少し動いて反応が見られた。
無事な姿を目にして、戻ると、姉たちはタクシー待ちという事で医者の話などを聞いた。
母は大正生まれで94才。脳梗塞で既に数回豊中市民病院で手術、入院もしていた。さらに手術を重ねることは、体力的な事もあるし、全身麻酔に耐えれるのか?それはほとんど仕打ちのようなモンではないのか。
病院は長らえるためには手術が必要と。なんか点数稼ぎのようにも思える。そんな話をして、明日(本日)兄が病院と話をして、連絡をもらう事で別れる。
かえりも自転車で30分とかく高速の下を直走る。なんか鼻の穴がくしゃくしゃする。排気ガスの微粒子がまとわりついた様である。タバコの煙よりこの埃はきついではないか。
かえって、尺八の稽古日だったのでYさんに稽古を付ける。
日が明けて今日、兄よりの連絡で、集中治療室から一般病室へ移ったと。そして「白く映っていた部分は瘡蓋のようになっていたため取らなかった。悪いことはしないようなので経過をみる。」ということで再手術はなくなった。
明日は、土塔庵での寄席の世話と2件打合せがありやっぱ見舞いには行けないが、とりあえずほっとした。