宮城県気仙沼大島へ 其の③
2012年 05月 01日
JR気仙沼線のトンネルが在るけど線路が、枕木が、ない。一部残されている所も歪んでいる。新緑の森に「潮枯れ」してしまった木立のラインが鮮明にうかぶ。このラインまで海になっていた印!考え・想像出来ない。
「津波の第1波の襲来まで庁舎内には約30人の職員がいた。しがし、無事が確認されたのはわずが8人。遠藤副町長もその一人だった。
依然行方が分がらない職員の多くが防災担当だった。防災無線を使いぎりぎりまで住民に避難を呼び掛けた。屋上に避難してフェンスやアンテナにしがみついたが、津波の力は想像をはるかに超えていた。
階段の手すりにしがみついて一命を取り留めた佐藤徳憲総務課長(60)は、第1波の後、多くの仲間が消えていることに気づいた。」
其処には祭壇が設けられていた。供えられていた花も新しいものであった。ココでも手を合わせた。
公立志津川病院の悲劇・惨劇■南三陸
今回の旅は10時間に及ぶ帰りの車中でも頭をその情景が駆けめぐっていた。被災された方々のお話しをもっともっと聞かせて頂ければ良かったと思う。
ともかく「行こう!」と声をかけて頂いた太鼓サークル「HOTARU」の皆さん。天人元気届隊のみんな!有難うございました。お疲れさんでした! 《完》